top of page

保育士_よっしーインタビュー

更新日:2018年4月9日


















①保育士を仕事に選んだ理由はなんですか?


保育士になろうと思ったことは夢にもなく、

目の前のことに取り組んでいるうちに今があるので、それを書きます。


はじめて子どもが産まれた頃は、

子どもってとうぜん保育園とか幼稚園とかに入れるものと思っていて、当初はそこにあまり深い考えはありませんでした


上の2人(ふたごの女の子です)を近所の一般的な幼稚園に入れて、「普通に」過ごしていたのですが、なんだか物足りなかった。縁あって下の2人を自主保育で育てたのですが、子どもの育ちをアツく語り合える魅力的なお母さん達、また遊び場で出会う人達との出会いが、私を変えていきました。


子どもが自発的に遊ぶことが育ちに必要なこと、ケガと弁当は自分持ちという冒険遊び場の考え方・街の人が遊びを通じてつながりあう子育て環境など、子ども・遊びをキーワードに行動範囲が拡がり、自主保育だけでなく、冒険遊び場の活動にもつながっていきました。


4人目の子どもが自主保育を卒業し、

小学生になったら、仕事と、

プレイパーク活動の日々が始まります。


自分の子育て経験・自主保育の経験・多少身に付いた冒険遊び場の考え方などが、現在子育てをしている若いお母さんたちにお話ししたり、多少だけどアドバイスすることも生じてきました。仕事にするかどうかはともかく、今まで生きてきたことの総括になるかもしれないということで、保育士の資格をとろうかな、と思い始めていました。そんなおり、5年ほどやってた医療事務の仕事を辞めることになり、これからどうしようと思っていた矢先。


たつのこ共同保育所で保育者を募集していたのです。


たつのこは、保育者と保護者が対等にトコトン話しをして子どもの育ちの場をつくろうとしていて、自主保育のときと同じスタンスで取り組めるよう感じました。自主保育とちがったのは、運営にシビアに生活がかかっていること。


預ける保護者にとって、安心して働きにいけるかどうかは、保育園を信頼できるかどうかにかかっています。


だからこそ、トコトン話しをする必要があったのですね。

保育者とは、資格が有る無しは制度上必要だけど、それ以上に、信頼を得られる存在であることが大切ですね。


一環して責任をもって運営するという園長さんがいない、運営母体がない、それが故に運営が不安定であることは否めませんでした。私がたつのこに来てから1年で、共同保育は終了せざるを得なくなりました。この、たつのこ共同保育所にいる1年の間に勉強して国家試験を受験し、保育士になりました。

そして、共同保育の良さを引き継いで「きのね」を設立することになりました。

保育士を仕事に選んだというよりは、保育士になってしまった、きのねで働こうと思ったのではなく、職場がきのねになってしまった。


すべてが、子どもが繫いでくれた人とのご縁、その繰り返しが、今の私というわけです。

子育ては長く関わっていますが、保育士としてはまだ新米です。




②きのねらしさとはどんな風に感じていますか?


保護者も一緒に創り続ける園、ということでしょうか。


子育てにも、人生にも、一応成人するとかの区切りはあるけど、設定したゴールに到達したらまた次のゴールがあるその繰り返し。なにげなく成長し続けてますよね。生きるとはそういうことかなと思ってるんですが、きのねも、みんなが関わり創っていることで、場が成長し続けていくんだろうな~と。


そして、会社と保育者と保護者と、全ての人たちで場を創る。そんな場であることで、「子どもたちが自由にノビノビと育ちあう」「時にはけんかしたりケガもする」ということが、保障できるのではないかと思います。




③子ども達にとってどんな存在でありたいですか?


親戚のおばさんであり、年の離れた親しい友だちであり、ときには親代わり。




④日々の保育で、気をつけている事・心がけている事はなんですか?


子どもの、声にならない声を聞くこと。

まだちゃんとお話しができない年の子どもたち。

「~したい」「~が欲しい」「~がイヤだ」という言葉が、その言葉通りのこともあれば、実はちがうところに意味がある場合もあります。


言葉の行間にあるほんとの気持ちを、声なき声を聞くよう感覚を研ぎ澄ます努力をしています。



閲覧数:234回

最新記事

すべて表示
bottom of page